第4章 アーティファクトを人間に適合させる choiyaki
p141.一般に、アーティファクトがわれわれの認知の能力を変えることはない。それらが変えるのは、タスクなのである。
著者は「タスク」という言葉をどのような意味で用いてるのか?
「数字どうしを比較する」というタスクを「棒の長をを比較する」というタスクに変えたり、覚えておくというタスクが書き留められた情報を読むというタスクに変わったり。
「どちらが大きいか比較する」というタスクと、「過去の経験を思い出す」というタスクかな。
「主体がおこなうこと」という感じのニュアンスかな。
アーティファクトがタスクを変えて、その結果人間が単独で何かをやるときよりもうまくできるようになれば、システム・ビューの観点から向上しているといえる、ということ?
「心的なアーティファクトを学ぶには何年もかかる」とあるように、システム・ビューの観点で向上をはかるのは、自分のものにすることが求められるのかな?
p142.アーティファクトの研究は、人間の能力の研究でもあるのだ。
著者にとって最も重要なことは、われわれはアーティファクトを設計するための科学を打ち建てることができるだろうか?ということ。
p174.ある関係を表示する「正しい」方法というものがあるわけではない。しかし、はっきり間違った方法はたくさんあるのだ。覚えておいて欲しいが、表現というのは、分類・整理と検索の両方に関係しているので、どうするのが適切かは、タスクに依存するのだ。
同じ情報でも、表示の仕方の選択肢があった方がいい。タスク、つまり主体が何を行うかによって適切な表示が異なるので、タスクによって選べたほうがいい。
この章では、グラフの危うさも語られる。表示の仕方によって、誤解を生む可能性があるから。統計の初歩でも語られるような。
グラフは内省を体験に変え得る。がために、間違った認識を生むのが容易くなる。
体験的であれば、パッとみて理解しやすい。けど、その理解しやすさが、ズレた認識のしやすさでもある。
p183.デザインとは、物語のようなものでなければならない。デザインチームは、そのアーティファクトが狙っているタスクとそれを使う人間とについて、じっくり考えることから始めなければならない。これを達成するために、デザインチームには、人間の認知、社会的インタラクション、タスク、用いるテクノロジー、それぞれの専門的知識をもたせないといけない。適切にデザインすることは大変な仕事である。しかし、それがなければ、われわれの道具はフラストレーションを与え、明快さをもたらすというよりはむしろ混乱を引き起こし、タスクに同化するというよりはむしろ邪魔をし続けることになる。
アーティファクトによる影響は繊細やけど大きい。タスクによって適切な表現は異なり、その表現にアーティファクトがあったものでないと。フラストレーションを感じ続けることになってしまう。
適切な、タスクに見合ったデザインを行おうとすると人間の認知やら諸々を理解しておく必要がある。で、これはあらゆることに言える。デザインは、あらゆる事物に内在するであろうから。
p187.アフォーダンスはテクノロジーにも適用される。テクノロジーが異なれば、別の操作がアフォードされる。
アーティファクトも、何かしらのことをアフォードする。何かあればその何かは何かしらをアフォードする。望むとも望まざるとも、アフォードする。椅子が支えることをアフォードするように、適度な高さの台が、何か物をおくことをアフォードするように。
メンタルにおいても物理的においても、生み出されたテクノロジーによって何かしらアフォードされる。意図的にも、意図とは反しても。